プロフィール2・核家族の団地っ子、一見典型的な中流家庭だったが

 

お食事カウンセラーの木村綾子です。

 「週イチごはんを作ると自分が好きになる!」

をテーマに、

発酵食品教室、食事カウンセリング、パーソナル料理レッスン(準備中)などを行っています。

 

前回は私の産まれた時代や家族のバックボーンをお話しました。

今回は子ども時代から大学生までの自分をお話しますね。

 

プロフィール1・男尊女卑の家に生まれた丙午女子はこちら

 

核家族の団地っ子、一見典型的な中流家庭だったが

 

先に少し触れましたが、生まれ育ったのは横浜市郊外、東急田園都市線沿線の団地です。

 

当時の日本は高度経済成長真っ只中で、全国に住都公団がサラリーマン向けに団地を作っていた時代・・・

私の父母も他の多くの同世代のように、1968年に当時2才だった私を連れて、そのような団地の一室に引っ越ししたのでした。

 会社員の父と専業主婦の母に私、妹の四人家族で、3DKのその団地に20年以上住みました。

父も母も郷里は愛知。なので祖父母と触れ合うことも日常にはない、典型的な核家族でした。

小4~中3まで父の転勤で名古屋で暮らしましたが、そこも名古屋市郊外のベッドタウンで環境は似ていた。

横浜でも名古屋でも、周囲もみないわゆる「中流」家庭ばかりでした。 

 

私の家も一見ごく普通の中流家庭でした。

しかし実際にはそうでもなかった。

今で言うDVがあり、児童虐待がある家庭だったのです。

 

父は怒ると母や私たち姉妹に手を上げる人でした。

殴られないためには親の顔色を常に伺い、いい子でいるしかなかったです。

実際には父が怒ることに一貫性は無く、機嫌が良ければ見過ごされることが機嫌の悪いときには怒りの対象になった。だからどんなに父が怒らないように努力してもあまり意味はなかったのだと今になればわかります。

が、当時は必死でした。

身体的な暴力だけでなく「誰に飯を食わせてもらってるんだ」という言葉の暴力もありました。

自力で働いたり食物調達を出来ない子どもにとって、それは本当に辛い言葉でした。

 

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父は私の親世代の人には珍しく、何度も転職をしています。会社の倒産など不運もありましたが、人間関係などでの場合もあったようです。

母はそういう父を「無責任」「我慢が足りない」と嘆き、金策に走ったりパートに出たりしていました。祖母に借金の電話をしている母の後ろ姿は、今も胸に痛い記憶です。

 

母は父に暴力を振るわれているという点で私と同じ被害者であったけど

「言うことをきかなければご飯を作ってあげない」などの脅しを言ったり、

「あなた達が悪いことをするからママもパパに殴られる」と

さり気なく罪悪感を子に植え付ける人でした。

 

母からはよく「子どもがいるから離婚できない」と言われました。

父からは「妻子がいるからやりたくない仕事をしなくてはいけない」と言われて育ちました。

 

 

後に私はものすごく強い自己否定感になやむことになるのですが・・・

そのはじまりはこのあたりにあります。

 

上記のように言う両親の言葉に、私は

「自分がいるから父は仕事を辞められないんだ」

「母は離婚すれば殴られずに済むのに離婚しないのは私がいるからだ」

と、父母を不幸にしているのは自分だと思うようになったからです。

 

祖父の家での男尊女卑体験もあり、自分はいないほうがいい存在なのではないか、という気持ちを抱え始めたのはこのころだったと、今、思います。

 

理想と真逆な高校生活、マジメな女子が集まる女子大時代

 

小学校は地元の公立小学校へ。

小4の夏休みに名古屋へ転校。そしてまた中3の夏休みに転勤で横浜に戻ることになりました。

中3といえば高校受験を控えた大事な時期です。

そんな時期に転校しなくてはいけないなんて・・・と当時かなり親を恨みました。

 

受験科目の違いや受験のシステムの違いで公立高の受験にはハンデが大きいとわかり、親の意向で高校は私立を志望することになりました。

相当必死に勉強しましたが、難関の第一志望(某大学付属高)には合格できず。

第二志望の中高一環教育の進学校に通うことになりました。

 

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高校ではがんばってもがんばっても成績上位になれなくなりました。試験で選抜された一定以上の成績の人だけが集まっていたのですから当然です。

受験の失敗と高校での成績不振。それは優等生であることが当たり前だった自分が初めて劣等感を味わった経験でした。

 

その劣等感もきつかったけど、もっと嫌だったのは厳しい管理教育の学校だったことです。

学校生活のすべてが受験を中心に組み立てられていて、厳しい校則があり自由はまったくなかった。

修学旅行も体育祭も家庭科の授業もなく文化祭も形だけという、3年間予備校に通ったような高校生活でした。

いやいや通った高校時代に楽しい思い出はほとんどありません。

 

ただひとつ、いいことがありました。女子だけの50人ひとクラスという特殊な環境の中での人間関係は非常に密なもので、お互いをよく知る友人ができたこと。後に私が変わるきっかけになった友人は、高校時代にできた友達です。

 

受験勉強することしか許されない高校の中で、挫折を感じながらも必死に勉強しましたが、大学受験でもまた第一志望には合格できませんでした。

それでもなんとか自分なりには満足できる女子大から合格通知をもらえたので、進学の際大きな不満はありませんでした。

 

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が、通ってみるとまた思い描いていたキャンパスライフとは違っていてがっかり。

 

先程自分の子ども時代を「活発で気が強く、真面目ながんばりやさん」と書きましたが、そんな女子ばかりが集まっていたのです><

少人数の大学だからサボれば目立つし、そもそも授業をサボろうなんて考える子自体ほぼいない。

必須科目も多くて授業の選択の幅も少ない。大学生活ってもっと自由度が高くて楽なものだと思っていたのに・・・(泣) 

私は本来自由なことが好きなんですね。そこに自己責任や自律が伴うとわかっていても、自分で自分のことを決めるのが好き。

だけど結局、高校に続き大学でもそういう環境を手に入れることができなかったのです。

 

やりたいことがない、楽しめないーその理由は生育歴?

 

大学一年の時にキャンパスライフを今ひとつ楽しめなかった理由はもうひとつありました。

それは「やりたいことがない」ことでした。

不自由な高校生活を経て、受験勉強に何万時間も費やして大変な思いをしてやっと手にした(想定よりは不自由だったけど)自由な大学生活。

それなのに「やりたいことがわからない」という事実に私は直面します。

 

授業の選択ももちろんですが、サークル活動にも1年のときは入れませんでした。

既知の年上の知り合いが東京女子大に通っていて、その方の入っていたサークルには入れていただきましたが、他には何をしたらいいのかわからない。

 

周囲の友達は他大学と合同のテニスサークルなどに入って楽しそうにしてるのに、そういうところに飛び込めない自分がいました。テニスをしたいのかというとそうじゃないのだけど、じゃあ何をしたいのかというとなにもない。

 

かといって「のんびりしてればいいや」と、やりたいことが特にない自分を肯定することもできない・・・。

 

2年生になってからやっとジャズダンスと華道のサークルに入り、それは楽しい思い出ですが、この「やりたいことがない=自分がない」ことに気づき、苦しんだ最初の経験がこの大学1年の時だったと今思います。 

 

やりたいことがない。やりたいことがわからない。

 

それが如実に現れ自分を苦しめたのが就職活動のときでした。

 

 

 

プロフィール3~アダルト・チルドレンの自覚を持つまで

 へ続く

 

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